元旦

2004年1月1日
あけましておめでとう。
今年もよろしく。

祖母の家でのんびりと過ごした。
激動の一年が終わろうとしている。
教員採用試験には受からなかったが、それでもやりがいのある仕事、旧友との再会、未来への展望・・・いいことが多かった一年だ。高校卒業して以来、充実感に満ちた一年だった。

また、お金が貯まったψ( ̄▽ ̄)ψ
去年は一ヶ月十数万、ボーナスも無く、住居手当も無かった。ギリギリの生活だった。
お金があるのはいいことだ。お金がすべてとは決して思わないが、ゆとりを持って生活することができる。貧乏学生時代が長かったため、今の生活は極楽のようだ。
ちょっといいものを食べたり、欲しかったものを買ってみたり、突発的に旅行してみる・・・以前の自分では考えられない。これで彼女がいればいうこと無しなのだが(・ε ・)ノ

・・・そういえば北海道に帰ってきて楽しみだったのは、付き合っていた人に会えるかと思っていたことだった。まだ一人なら何とかやり直したいと思っていた。でもすでに他人のものになっていた・・・そりゃそうだよな、何年も音信不通だったんだから。

1月2日の同窓会でひょっこり会ったらどうしよう。まずは「結婚おめでとう」・・・だよなぁ。それから子どもはできたのか、とかそれまで何してた、とか。まったく意味のないことだな、結婚してるんじゃ。付き合っているとかじゃないからな。
・・・なんでこんなこと思い出したんだろう?

来年はどこの小学校に勤めるのか決まっていないし、決まるのかすらも微妙だ。ただ、自分は働きたいし、やりがいがあるし、お金も欲しい。決まったなら全力で頑張れる。その自信はあるし、今年の経験からも裏づけがある。

来年は28か・・・「まだ若い」とか言われるけど、結構おじさんの領域に踏み込んでるよな。そろそろ、しっかりと人生を決めたい。来年はそれを目標に生きていく。

とりあえず、輝かしいボクの2003年に感謝!
また来年頑張ろう。
・・・って一日の違いにどれほどの意味があるのか甚だ疑問((( ;゜Д゜)))ガーン
人間誰でもOnlyOneと歌っている。もちろんその通り。けれども、個性とは無理に創り出すものではないだろう。

教育界で「ゆとり教育」が叫ばれるようになったのは1970年代の頃だったらしい。荒れる子どもたち、増える少年犯罪・・・・・・その理由のやり玉に上がったのが「偏差値教育」だ。

子どもの価値を輪切りにする「偏差値教育」よりも、「ゆとり教育」によって様々なことを体験し、その中で「豊かな個性」を育むことを目指した。それについては反論の余地は無い。

けれども、年末になれば誰だって実家に帰り、こたつにみかんで紅白観て。全然悪くは無い。何も必ずエベレストの頂上で初日の出を拝んだり、ハワイで迎えたりと、特別なことをする必要はない。普通でいいんだって。

特別な存在になりたい。有名になりたい。認められたい。それは私だって思っている。でも、先生である私が「勉強しなくていいから、なれなれ」なんては言えない。勉強は準備運動だ。何かをするときの大事な基礎になる。個性は無理やり作るものでもない。

まとめると、「世界にひとつだけの花」は賛成。
「ゆとり教育」には反対。
年末は好きに過ごそう。以上。

終わりなのに始まり

2003年12月29日
2003年
新潟から古巣北海道に戻ってきた。

去年の自分から今の自分は想像できないし、
現在の自分から来年の自分も想像できない。

今年も終わりそうだが、始める日記とは
どんなものだろうと思いながら、
毎日生まれ変わる自分の足跡を残すために
細々と書きはじめた。


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